2017年8月8日(火) 台風一過、晴れ 暑さは少しまし32℃くらい、でも暑かった

前日から、北九州(家人が単身赴任中)に
車で、大阪箕面に戻るついでに、山口観光を計画
前から行きたかった萩に行く前に、国宝五重塔がある瑠璃光寺を訪ねることにしました

(wikiより)瑠璃光寺(るりこうじ)は、山口県山口市香山町にある曹洞宗寺院。山号は保寧山、本尊は薬師如来国宝五重塔を中心として、境内は香山公園と呼ばれ、の名所にもなっている。大内氏全盛期の大内文化を伝える寺院であり、「西の京・山口」を代表する観光名所となっている。

大内氏前期全盛の頃、25代大内義弘は現在の香山公園に、石屏子介禅師を迎え香積寺を建立しました。義弘は応永6年(1399年)足利義満と泉州で戦い戦死。26代弟・盛見は兄の菩提を弔うため、香積寺に五重塔を造営中、九州の少貳勢と戦って戦死。五重塔はその後、嘉吉2年(1442年)頃落慶しました。
それからしばらくの時を経た関ヶ原の合戦の後、毛利輝元が萩入りし、香積寺を萩に引寺。跡地に仁保から瑠璃光寺を移築しました。これが今日の姿です。

ここの中心は何と言っても国宝の五重塔
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国宝。大内文化の最高傑作といわれる。室町時代、嘉吉2年(1442年)頃の建立。屋外にある五重塔としては日本で10番目に古く、京都の醍醐寺・奈良の法隆寺のものとならび日本三名塔の一つに数えられることもある。全国に現存する五重塔のうちで10番目に古い。
高さ 31.2m で屋根は檜皮葺。二層にのみ回縁(まわりえん)がついているのが特徴である。建築様式は和様であるが、回縁勾欄の逆蓮頭や円形須弥壇など一部に禅宗様(唐様)が採り入れられている。

檜皮葺屋根造りのものは瑠璃光寺の他に、奈良県の室生寺と長谷寺、そして広島県の厳島神社。

車で、北九州より、1時間と少し。
道もすいていてスイスイでした
特に山口は高速でも無料区間が多く、よく整備されていました。
駐車場
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山口市は、2015年「明治日本の産業革命遺産」世界遺産に登録されてます。
 日本は、幕末から僅か半世紀の間に製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業において急速な産業化を達成し、非西欧地域で最初の産業国家としての地位を確立しました。このことは、世界史的に極めて意義のある特筆すべき類稀な事象であり、この歴史的過程を時間軸に沿って示しているのが、「明治日本の産業革命遺産」です。「明治日本の産業革命遺産」は、平成27年7月に開催されたユネスコ世界遺産委員会で、世界遺産に登録されました。
この遺産群は九州・山口を中心に8県11市に23の資産があります。これから行く萩エリアは時代順に1番目のエリアで、萩反射炉、恵美須ヶ鼻造船所跡、大板山たたら製鉄遺跡、松下村塾、萩城下町の5つの資産で構成されています。
すごいな~、我が大阪も、
百舌鳥・古市古墳群で世界遺産登録を目指しています。

萩往還(太陽光のせいか、写り悪っ)
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萩往還(はぎおうかん)は、江戸時代に整備された街道の一つ。長門国城下町である萩(現在の山口県萩市)と周防国三田尻(現在の山口県防府市)とをほぼ直線に結ぶ全長約53kmの街道であった。
現在は萩往還のルートの大部分は、国道262号として整備されており、萩市・山口市・防府市を結ぶ重要な幹線道路となっている。萩市から防府市に至る古道と関連遺跡が平成元年(1989年)に「萩往還」の名称で国の史跡に指定。また、平成8年(1996年)には文化庁選定の歴史の道百選に、平成16年(2004年)には萩-山口間が美しい日本の歩きたくなるみち500選に選ばれている。平成19年(2007年)9月に日本風景街道に登録されている。(wikiより)
関ヶ原の後、萩に押し込められた毛利氏が、京や江戸に行く際、日本海側から、とりあえず、街道の通っている瀬戸内側に出る道だということです。この辺りもそうなのですね。

お寺はいります。
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雪舟の像 雪舟はこの寺近くの雲谷庵で晩年を過ごし、朝な夕な、五重塔を眺めていたのでしょうか
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五重塔を間近で
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五木寛之がその著「百寺巡礼」では、各層の軒先の風鐸は女性のイヤリングの様で、屋根のラインの優美さをまし、屋根の上の水煙は本物の煙が建ちあがっているようだ、と記しているそうな

瑠璃光寺山門  正面に「保寧山」の扁額 左右に回廊が延びている
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曹洞宗ですから

鎮守石殿  山門の向って右前に置かれている。
瑠璃光寺が仁保にあった頃、当山16世重堂專宗大和尚が寺の鎮守として慶安3年(1650)造立(刻銘有)DSC_1057

経塚 後ろに見えているのは鐘楼
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石段の右側に閻魔大王と後生車が在りました。ここでは、石柱真ん中の丸い石を手で廻します。
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左川には手水鉢
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身代わり地蔵
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池のは睡蓮の花
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本堂 
ご本尊は薬師如来
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弥勒さんもいらっしゃる
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寺紋は吉川氏家紋の「九曜」
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この寺は大内氏が亡びた後、毛利氏が領する事に。
毛利元就公次男吉川元春公が小倉で逝去した時、瑠璃光寺十一代華翁和尚様が、その導師となり寺を霊牌所とし、法号により海翁寺としたそうです。当時、三百余の末寺があった為、のち藩の了承を得、瑠璃光寺に複号しました。寺紋は、吉川氏の意向により定紋九曜紋となったとの事。

水かけ地蔵 
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桔梗がひっそりと
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仏足石
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長寿薬師如来堂 本尊は長寿薬師如来 左奥に高祖承陽大師(曹洞宗開祖道元禅師)の像が鎮座
なぜ橘紋なのかな?
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長寿薬師如来堂のお参りは、写真のように数珠玉が連なっており、ゆっくりと手前に引いて数珠玉を8個落すと、煩悩を払うことができる、とされている。数珠玉が滑車から落ちて手前の玉とぶつかる時に”カチッ””カチッ”と音を立てるのが、興味深い。
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お隣には出雲一畑薬師奥ノ院山口分院 目のお薬師様として古くから全国に知られる一畑薬師の分院で眼病平癒の仏様として信仰を集めているそうです
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(8/25追記)この一畑薬師、有名なんですね。先日、五木寛之の百時巡礼でやっていました。

知足の手水鉢
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瑠璃光寺の山門左正面辺りに大内広世公の馬上姿像がある。
大内広世は、周防・長門・石見の守護で、本拠を大内館から山口へ移転した。
山口で京都に倣った都市計画に基づく市街整備を行い、後の大内文化に繋がる基礎を築いた人物。
西日本の守護大名として勢力を持っていた大内氏24代の当主。室町幕府の重鎮として度々上京しているうちに京の風情を好み、地形の似た山口盆地に京都になぞらえて、「西の京」といわれる山口の町を誕生させた文武兼備の名将だそうです。
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暑いので売店でアイス するとこんな張り紙が
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ちなみに、出身都道府県別内閣総理大臣ランキングでは、山口は8人で圧勝!
2位は、東京5人(高橋是清・近衛文麿・東条英機・鳩山一郎・管直人)
3位は、群馬県4人(福田赳夫・中曽根康弘・小渕恵三・福田康夫)
同じく、岩手県4人(原 敬・斎藤 実・米内光政・鈴木善幸)
5位は、石川県3人(林 銃十郎、安部信行、森 喜朗)
同じく、京都府3人(西園寺公望 、芦田 均、東久邇稔彦)
同じく、岡山県3人(犬養 毅・平沼騏一郎・橋本龍太郎)
同じく、広島県3人(加藤友三郎・池田勇人・宮沢喜一)
同じく、鹿児島県3人(黒田清隆・松方正義・山本権兵衛)

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山口名物、瓦そば 私は蕎麦アレルギーなので、見てるだけ~
熱したの上に茶そばと具材を載せて、温かいめんつゆで食べる料理。西南戦争の際に熊本城を囲む薩摩軍の兵士たちが、野戦の合間に瓦を使って野草、肉などを焼いて食べたという話から、下関の人が始め、山口各地でご当地グルメとして広まったとか

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このすぐ近くに毛利氏の墓所があったらしい。
萩では、藩主の墓所、二か所を訪れたので、事前に分かっていれば、訪ねたものを。。。
ここには、毛利敬親・元徳・元昭の三公と各夫人及び毛利家歴代諸霊の七基の墓がある。

この後、秋芳洞を訪ねるのだが、それは、次のブログで