8月の歴研です。
今回も、Yさんがお休みなので、簡単に記事を書かせていただきます。
歴研、暑い8月は止めようか、という意見もありましたが、せっかくの月一、皆で集まろう、ということで今回も開催
今月のリーダー、Sさんが考えてくれたのは、大阪の水上バスに乗り、近くの造幣局工場を見学するというもの
暑い中、涼しく一日楽しませていただきましたありがとうございました
お昼に集合して、天満橋に。
大阪水上バス、アクアライナーに乗ります。
(HPより)
水上バス『 アクアライナー 』が周遊する大阪の中心街を流れる「大川」は、趣ある建築物と緑の木々が
共存する、とても素適な空間です。川面からご覧になる大阪の街は、また違った風情を感じて頂けると思います。のりばも駅の近くに 4ヶ所ありますので、お気軽に ご乗船して頂けます。
八軒家浜船着場より乗船
「八軒家(はちけんや)」(wikiより)
上町台地北端の西麓、天満橋と天神橋の間において、平安時代までに渡辺津(わたなべのつ)と呼ばれる外港が成立した。大江、国府津、窪津、楼津などとも呼ばれ、摂津国の政治の中心であった渡辺の地はまた、四天王寺、住吉大社、高野山、そして熊野三山への参詣道である熊野街道の起点として駅楼が置かれ、海陸交通の要地として栄えた。
大阪平野の形成にともなって西へ移動した河口と離れて河港に姿を変えたことや、遷都等の要因によって外港としての役割は縮小したが、同地における寄港地としての機能は近世以降も残ることになる。
江戸時代には、同地は船宿などが8軒並んでいたことから「八軒家浜」と呼ばれるようになり、京(伏見)と大坂を結ぶ「三十石船」と呼ばれる過書船のターミナルとなるなど、淀川舟運の要衝として栄えた。
このころの八軒家浜の様子は多くの文芸・美術作品に描かれている。十返舎一九『東海道中膝栗毛』第八編には、舟を下りた弥次郎兵衛と北八が「大坂の八軒家」で上陸する場面がある。また摂津名所図会「八軒屋」、浪華百景「八軒屋夕景」が知られる。
私的には、熊野古道の出発点、ということで、ここから、天王寺辺りまで昔気分で歩いたことがあります。歴史友達の中には、実際全部の道を踏破された方もおられます
なお、この水上バスは、1983年、大阪城築城400年祭に際して創業だそうです。
一周約60分、料金は1700円、途中で降りることもできます。
出発 いい天気
橋を幾つかくぐり、これは川崎橋 自転車・歩行者専用斜張橋(塔から斜めに張ったケーブルを橋桁に直接つなぎ支える構造のもの)橋名は、かつて架橋地点にあった渡船「川崎渡」から採られている
後から行く、造幣局
OAPです、帝国ホテルも見えます
ここからUターンして寝屋川に入っていきます 京阪が走る京橋
大坂ビジネスパークが見えてきました
第二寝屋川なんですね
新鴫野橋 元は大阪城内にあった公儀の橋 最近架けかえた時、擬宝珠を高欄に取り付けてます
大坂ビジネスパーク ツインビルも ここはは、旧陸軍の砲兵工廠の跡地
ホテルニューオータニ
大阪城新橋 昭和58年開催の大阪城築城400年祭の間に合わすべく、約10ヶ月という短縮工期で完成
水上バスの大阪城港
見えるかな、大阪城ホール
大阪砲兵工廠の水門の跡のようです
**大阪砲兵工廠について 「大阪市100年」「なにわ今昔」より画像をいただきました
明治中期の大阪砲兵工廠の表門。向こうに見えるのは伏見櫓、戦時中に焼失。
昭和7年に撮影。大阪城の敷地いっぱいに陸軍造兵廠の施設が建ち並んでいます。
昭和20年8月14日の大空襲 終戦の前日です
戦争中は大変でした。今は昔、大阪城がちらりと見えました
乗船した八軒家浜船着場です、もう少し行って、戻ります
京阪シティモール 2005年開業、以前は松坂屋がありました
水陸両用バスが見えてます
天神橋 1594年(文禄3年)の架橋、当初は大阪天満宮が管理、1634年(寛永11年)に他の主要橋とともに幕府が管理する公儀橋となった。難波橋、天満橋と共に浪華三大橋と称され、真ん中に位置する。
ここより、土佐堀川、(中之島の)北側は堂島川
難波橋 元をたどると704年ごろに行基によって架けられたといわれている。大正時代、パリのセーヌ川に架かる橋を参考に製作される。橋の南詰めおよび北詰めには、最上級の黒雲母花崗岩を素材にした獅子像が左右両側にあるため、「ライオン橋」とも呼ばれている。
コース再西の淀屋橋港
栴檀木橋 江戸時代の初期、蔵屋敷のあった中之島と船場の行き来のために架けられたと考えられている。橋名の由来は『摂津名所図会』ではこの橋筋に栴檀ノ木の大木があったためとしているが、詳らかではない。
中央公会堂 1918年(大正7年)竣工 辰野金吾ほかの設計 重要文化財
お疲れ様でした、55分の水上旅でした 水の都大阪を満喫できましたね
遅いランチをいただき、造幣局へ向かいます
橋の上から、先ほどの水上バスが見えました。
桜並木を抜け、
目的地、造幣局が見えてきました
造幣局 「Japan Mint」 mint・・ハッカではなく、貨幣鋳造所です
造幣局(ぞうへいきょく)は、硬貨の製造、勲章・褒章及び金属工芸品等の製造、地金・鉱物の分析及び試験、貴金属地金の精製、貴金属製品の品位証明(ホールマーク)などの事業を行う日本の行政執行法人である独立行政法人である。
近代国家としての貨幣制度の確立を図るため、明治新政府によって大阪の現在地(大阪市北区)に創設され、明治4年4月4日に創業式を挙行し、当時としては画期的な洋式設備によって貨幣の製造を開始。
門の横には大きな銀杏の木
簡単な説明を受け、工場見学
創業当時のガス灯とあります 我が国最初のもので平成27年(2015年)に国の史跡に指定
旧正門
工場入口にあるのは、創業期に使用されていた圧印機 外国製です
工場の中では、コインのできるまでの工程を教えてもらいました
できたて、ピカピカの硬貨
貨幣製造枚数の推移 社会情勢によってずいぶん違う
自販機が出来た時、消費税の導入、近年の電子マネーの普及
でも、古くなった硬貨は回収していくので、そのため新しいのも作らないといけない
最近は外国貨幣も作っているようだ
記念硬貨もたくさん作っている
工場見学終了して、次は博物館に
造幣局の歴史のビデオを見た後、館長さんから展示説明を受けました
写真は撮れなかったけど、和同開珎から宋銭、そして秀吉の天正大判、また、江戸時代の慶長通宝など、貴重な貨幣を見せていただき説明をしていただきました。
とてもわかり易く、興味が持てました、ありがとうございました。
夏休みということで、子供たちも大勢、見学していました。
自由研究かな、頑張って、立派な宿題を提出してください。
今日も楽しかった歴研の一日でした
コメント