2017年6月28日(水) 雨のち曇り 25℃

可愛い孫のお守で前日から東京に。
(娘夫婦は共働きで、お婿さんが出張、保育園への送迎+がお仕事
孫を保育園に出し、おうちのことをちょこっとして、雨も止んだので、昼頃からスタート!
今年、大政奉還150年、記念プロジェクトが行われています。
(つまり、来年は明治150年だ!)
そして、日本各地で、スタンプラリーが。
スタンプ、集める、歴史、全部大好きなおばさんには、超魅惑的~
孫宅から近いと言えば、品川区と千代田区かな。
本日は、品川歴史館へ行き、近隣の神社仏閣、遺跡なども訪ねます。

まず、大森駅まで30分ほど歩きます。
以前にも見たのですが、ここは大森貝塚があります。
NTTデータのビルの横の小道を入った所です。
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(wikiより)大森貝塚(おおもりかいづか)は、東京都品川区から大田区にまたがる縄文時代後期 - 末期の貝塚。モース貝塚とも。1877明治10年)617に横浜に上陸したアメリカ人の動物学者・エドワード・S・モースが、619横浜から新橋へ向かう途中、大森駅を過ぎてから直ぐの崖に貝殻が積み重なっているのを列車の窓から発見し、政府の許可を得た上916に発掘調査を行った。助手ら3人とともに土器、骨器、獣骨を発見し、929にも訪れ、109から本格的な発掘を行った。1955昭和30年)324には、国の史跡に指定された。モースらの発掘した貝殻、土器土偶石斧石鏃鹿の骨片、人骨片などの出土品は東京大学に保管されており、1975(昭和50年)に全て国の重要文化財に指定されている。

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品川歴史館目指して北へ歩きます。
この辺りで、大田区→品川区となります。

ん、この説明文は? 児島惟謙屋敷跡とあります
児島惟謙、と言えば、大津事件ですね。明治24年当時皇太子だったニコライ2世が日本を訪問された際、滋賀県大津で護衛の巡査津田三蔵に切りつけられた。時の松方首相や西郷従道内相らは、皇室に対する犯罪と同質であり極刑に処することを主張したが、児島は司法権の独立と裁判の神聖のため、あくまでも法律の明文によるべきであると主張し、その結果、津田は謀殺未遂罪として、無期刑に処せられた。最近、大津事件発祥の地を訪れたので感慨深いです。
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あれ?また、大森貝塚?品川区に入ったぞ。
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公園ですね。いや、遺跡庭園か。
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すぐ近くを、JR京浜東北線が走ってますが。
なぜに、貝塚碑が二つ?
後で品川歴史館に行ってわかったのですが、
(wikiより)モースが論文に発掘場所の詳細を書かなかったこと、貝塚発見の報告文書に所在地が大森村と記述されたことから、当初の発掘地点について長い間、品川区説と大田区説の2つが存在した。しかし、その後1984(昭和59年)までの複数の調査により、東京府が大井村字鹿島谷(現在の品川区大井6丁目)の土地所有者に調査の補償金50円を支払った文書が発見されたこと、貝塚碑周辺の再発掘で貝層が確認された一方、貝墟碑(大森)周辺では見つからなかったことから、現在ではモースが調査したのは品川区側であったことがわかっている。なお、両者は約300mの距離である。

「東京大学法理文学部第六年報」によれば発掘地は「荏原郡大井町」(のちの品川区大井六丁目)である。
名前は大森なのにね。モースが大森操車場(駅)で降りたのでこの名があるのでしょうか。

立派な神社があります。
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 (wikiより)鹿嶋神社は、『新編武蔵風土記稿』には鹿島社、『江戸名所図会』には鹿島大明神社として紹介された。武甕槌神を祀る

社伝によると、安和2年(969919武蔵国荏原郡大井村字関ヶ原(現在の東大井6丁目)の常行三昧寺住職であった尊栄法印常陸国鹿島神宮から分霊勧請したことに始まり、同日、別当として、来迎院を建立、慈覚大師794 - 864年)がつくった薬師如来像を安置したという。

現在の社殿は1931昭和6年)に竣工。1988年(昭和63年)、しながわ百景(鹿嶋神社)に認定される。

立派な茅の輪くぐりがあります
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旧暦の6月末に行われる「夏越の祓」は、半年分のケガレを落とす行事で、この後の半年の健康と厄除けを祈願します。厄落としの方法として「茅の輪くぐり」が行われます。「茅の輪くぐり」については日本神話に基づいているといわれています。

昔、ある兄弟のところに、一人の旅人が現れて一夜の宿を乞いました。裕福な兄は旅人を冷たく断り、貧しいながらも弟の蘇民将来(そみんしょうらい)は温かく旅人をもてなしました。数年後、旅人が恩返しにと再び蘇民を訪れますが、実はこの旅人はスサノオノミコトで、その教えに従って茅の輪を腰に付けたところ、疫病から逃れられ、子々孫々まで繁栄したということです。
この故事に基づき、家の玄関に「蘇民将来札」という札を貼り、厄除けにするという風習も残っています。
くぐり方は、長くなるし、間違えてはいけないし、皆さんで調べてください。

私の家近く、箕面の春日神社でも茅の輪くぐりが出ていました。まだ、封はきっていなかったのですが。
今回、東京の神社で、多くの茅の輪くぐりができて、うれしかったです。
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大きいタブの木です、御神木かな

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千木外削ぎ 鰹木5本かな
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神紋は左巴
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品川歴史館に着きました
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初めに書いたように、今年は大政奉還150年、関連展示があります
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ここでのスタンプデザインは山内 容堂
山内 容堂 / 豊信は、土佐藩15代藩主。藩政改革を断行し、幕末の四賢侯の一人として評価される。品川区東大井には、大政奉還を慶喜に建白した土佐藩第15代藩主山内豊信(容堂)の墓や、容堂の隠居した土佐藩邸跡などが残されています。2010年の大河『龍馬伝』では、近藤正臣が演じていて印象に残っています。
一個目ゲット~
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歴史館の庭に出てみました。
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これはネジバナ(捩花)かな。
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箕面滝道にもある、ヒメヒオウギズイセン(姫檜扇水仙)
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2階に上がると、大森貝塚についての展示
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蛇足ながら、指紋捜査のルーツが日本にあるってご存知?
そして、モースに関係があると
**○指紋鑑定の発祥地は築地居留地 築地明石町聖路加病院近くにある 築地明石町に残る「指紋研究発祥の地」の記念碑 英国人医師ヘンリー・フォールズの研究成果を顕彰する警察協会が建立。 ヘンリー・フォールズ(1843-1930)は 明治 7 年(1874)に来日、キリスト教の布教とともに病院を開く。 診療の傍ら、日本人の指紋を採取。すべてが異なることを発見。 明治 19 年(1886)離日。 その間の明治 13 年(1880)、指紋で個人の特定できることを論文とし て初めて発表。
○築地居留地とは 明治元年 11 月に設立。 居留地は神戸、横浜など 6 箇所。 開港地ではなく、外国人が居住し貿易を行う場所。 明治 3 年に 52 区画を競売、外国人が購入居留した。
○外国公館と宗教の町 アメリカ公使館が麻布から移転。 ペルー、オーストリア、フランスなど 9 か国の公使館。 次いで、明治 6 年のキリスト教解禁とともに 各派キリスト教の宣教師館が建設される。 約 75 パーセントの土地が宣教師館と教会が占める。 また、慶應義塾大学、明治学院大学、女子学院、青山学院大学、 立教大学、立教女子大学、雙葉学園、暁星学園、関東学院大学、 女子聖学院、工学院大学の前身校が開没された。 その町の成り立ちの中で、ヘンリー・フォールズは スコットランド一致長老教会の宣教師および医師として来日した。 フォールズは外科と眼科の医師として治療にあたる。 年間 1400 人以上の患者を診療。
○土器に残る指紋と証文の栂印 フォールズはアメリカから来日した動物学者モースが大森の貝塚を調査した結果採集した 土器を東京大学で見る。 土器に残る指の跡に注目、さらに日本人が名前とともに証文に 栂印を押すことに興味を抱き、指紋収集を開始する。 指紋の固有性に気づく。 病院内のアルコールを盗み飲んだ助手を残された指紋から摘発。 以後、帰国するまで指紋の採取と分類に没頭する。 「ネイチャー」誌に発表されたフォールズの論文は 世界で初の指紋分類に関する学術的成果。 イギリスに帰国後も開業医をしながら指紋研究を継続。 昭和 5 年(1930)、87 歳で死去。 フォールズは外科と眼科の医師として治療にあたる。 年間 1400 人以上の患者の手術を実施。 **

歴史館を出て、山之内容堂のお墓に。館の人が詳しく教えてくださいました。
約30分 京急鮫洲駅近くの多い公園の中にあります。
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墓は大きな円墳に墓石を配した珍しい形
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「島津常侯墓」は、島津家から輿入れした13代豊熙の正室の墓
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16代豊範夫人の墓
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この公園の中に土佐藩の下屋敷があったのかと思ったら、鯖江藩でした
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土佐藩の下屋敷は、来た道を戻って、中学の校庭内
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このまま電車で帰ってもいいのだが、近くには東海道もあるし、少し歩いてみよう
京急立会川駅地下に
千木内削ぎの神社発見!DSC08917
天祖・諏訪神社 昭和40(1965)旧東海道沿いに立会川を挟んで並んで鎮座していた天祖神社(南浜川鎮守)と諏訪神社(北浜川鎮守)が合祀してできたもの。天祖神社は、建久年間(1190 - 1199)の『大井郷之図』に神明社(天祖神社の旧名)としてその姿を確認することができるから、それ以前の創建と考えられる。諏訪神社は、寛永8年(1631)以前の言われている。その後、昭和40年(1965年)に天祖神社の改築に伴い、両神社が天祖神社のある場所に合祀された。
御祭神:天照大御神 豊受大神 建御名方刀美神 小碓命(日本武尊の別名)
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ここにも、茅の輪くぐりが
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境内には厳島神社も
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神輿庫かな、たくさん 9月のお祭りはなかなか賑やかなよう
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思い出したけど、3年前か、東海七福神で来たなここは福禄寿

東海道です
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サボテンの花?
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濱川神社 修験者の教光院了善が当地に厄神を祀ったのが始まりで、信仰形態の源は仏教かな
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閉門されていて、階段上に建物が。。。
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大経寺
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大経寺は、鈴ヶ森刑場の無縁受刑者供養のため、鈴ヶ森刑場の開設前後に堂宇が建立されたと思われている。史料によると、明治4年(1871)刑場廃止と同時に「旭松庵」と称し、昭和17年(1942)品川蓮長寺42世慈洽院日完上人を開山として大経寺としたという。
井桁に橘の日蓮宗の紋
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ここは、鈴ヶ森遺跡(東京都指定旧跡)DSC08933
江戸の初めに刑場として開設され、明治になって閉鎖されるまでの220年間に。10万人以上の罪人が処刑されたと言われる。
現在も井戸や、火炙用の鉄柱や用の木柱を立てた礎石などが残されている。
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暗くなって一人では通りたくないですね。


緑の中、品川公園に
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しながわ水族館、昨夏NHKでやってた『水族館ガール』の舞台
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どうも、公園が蛇行していたようで、ボートレース場に出てきたよう遠回りだ~
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遅くなった、早く帰らねば
でも、こんなものが目に入った
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大森神社の創建年代は不詳ですが、当地周辺が海辺であったころ、海上に金色の光が輝き(弥陀の像ともいう)波のまにまに浮んで岸辺に流ついた像を村人が畏れて、何度か沖へ押し流したものの三度も寄り来たことから、この像を祀り、寄来神社と称したという。明治維新後大森神社と改称、村社に列格。第一京浜の整備・拡幅により社地は削られたが、かつては、広大な森があったという。御祭神の久久能智命はイザナギ・イザナミの間に産まれた樹木の神。
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楽しい歴史歩きも終わり、家に帰って、孫をお迎えに行きます

次は2日後、
6月30日に、赤阪方面に出かけます