歴史が好きなので、その関係のテレビをよく見ます。
見たときは、なるほどな~と感心、共感するのだが、しばらくすると忘れてしまう。
だから、ここに、備忘録として書き留めるのもいいかと、書かせてもらうことにしました。

2017年7月8日(土) 『諸説あり!』▽千利休はなぜ切腹をめいじられたのか?
 この番組では、森羅万象…あらゆる事象について、世に存在する様々な「諸説」を掘り起こし、徹底検証。諸説の裏に隠された真相を手繰り寄せれば、新たな真実が浮かび上がる! …これが謳い文句
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戦国時代の天才茶人・千利休。
織田信長、豊臣秀吉、二人の天下人と結びつくことにより、政治的な役割も担った人物である。特に秀吉とは強力なタッグを組んでいた利休であるが、天正19(1591)年、突如秀吉の怒りをかい、堺での蟄居を言い渡され、ついには武士でない身分の者としては異例の「切腹」を命じられ、その生涯を終えた。首は京都で晒されたという。なぜ秀吉は千利休を切腹させたのか?
今までは、大徳寺の山門の利休の
自身の雪駄履きの木像を楼門の二階に設置し、その下を秀吉に通らせた、これが秀吉の怒りをかった、という説
また、安価の茶器類を高額で売り私腹を肥やした疑いを持たれたという説
秀吉と茶道に対する考え方で対立したという説
権力者である秀吉と芸術家である利休の自負心の対決の結果という説
秀吉の朝鮮出兵を批判したという説
等々があげられるが詳しくは分かっていない。
この番組では、
①「切腹は堺と決別するための見せしめだった?!」
②「キリスト教に傾倒した利休を秀吉が見限った?!」
③「秀吉は利休の巨大ネットワークを恐れた?!」など、今も謎とされている諸説を徹底検証していた。

①  静岡大学小和田哲夫名誉教授の説
戦国時代の堺は、海外を相手とする貿易港として発展した日本最大の物流拠点、その経済力は大国にもひけをとらなかったという。また、輸入武器の集積場でもあり、独自に鉄砲の生産も行う軍需都市だった。町は、豪商達が支配し、領主と武士を排除した自治都市であった。町の周囲には、堀も築かれ、まるで独立国家の様相。
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信長秀吉も天下取りの途中では、堺を利用していくのだが、秀吉が権力者となり天下が治まった状況で、「武士が世の中を支配する」、そのためには、町人がしゃしゃり出てくるのは好ましくない、下克上の時代は自分(秀吉)の代で終わらせようと身分制度の確立を目指した。そして堺にも様々な圧力を加えていく。税を重くし、取り囲む堀を埋め戻させるなど、都市を解体していった。そして、堺の商人たちの力を抑えるため、利休を切腹させた。
戦国の世がいったん終わりを告げ、利用価値のなくなった堺の武器と経済力、
利休の切腹はその堺との決別であり、町人の成り上がりは許さないと世間に示す見せしめだったのでは (納得)
なるほど、秀吉が大陸進出を考えていくうえでは、博多>堺ですね

②   
茶道・武者小路千家不徹斎千宗守の説
一つの茶碗の同じ飲み口から同じお茶を飲む『濃茶』の作法はカトリックの聖体拝領の儀式からヒントを得たのではないかとの説である
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日本人は元来、食習慣では潔癖症、昔は箱膳があり食器は全部個人の物、融通は利かなかった。それなのに、何故、同じ器、場所から飲むのか。ミサの影響を受けていたとしか考えられない。
又、茶室の独特なつくり、にじり口、これは聖書の狭き門から入れという言葉を象徴的に表現したものだとの説も。また、茶室の中では身分の差はない。その別世界では平等、これもキリスト教から来たものでは。
家元がかつて、バチカンを訪れた際、「ローマ法王庁の中に当時のキリスト教と茶の湯に関係する資料がある」と言われたそうだ。
キリスト教からきた平等への思い、これが北野大茶の湯に結実したのでは。
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しかし、平等の世界など、ありえない、秀吉はキリスト教への弾圧を始めた。
彼は、武将の価値観を絶対に崩さなかった。
利休の切腹は、キリスト教の教えを貫いた覚悟の死だったかもしれない。
いや~、この説は目からうろこでしたね

③  本日の
ゲスト:伊東潤(歴史小説家)さんの説   『天下人の茶』
利休の多くの弟子、それは大名などの武将であった、彼らの領地を集めると300万石近くになる
利休七哲とは、
蒲生氏郷、細川忠興、古田織部、牧村兵部、高山右近等そうそうたる名前が
茶室で話しているのは、茶のことか、政治のことか
また、秀吉の弟、秀長が亡くなり、石田三成が台頭してくる
「茶の湯」の巨大ネットワーク、豊臣政権内で一大勢力を築くのが許せなかった、この意を汲んだ三成が切腹へと暗躍したのでは
さらにさらに、本能寺の変の黒幕が利休だったのではとの説も披露されてます
比叡山焼き討ち、一向宗への残虐行為など
信長の激しさは利休をはじめ堺の商人達に恐れを抱かせたという、そこで利休は、キリシタンでつながる明智光秀を操り、信長を討たせたという
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しかし、パートナーが謀反人では利休の地位も危うい、それで、秀吉についた
(まとめ)
利休は、時代を見る目があった
世の中を平和にして、皆が戦乱に苦しまないようにするという理想があったから、色々策謀したのでは
わび・さび(佗・寂)にも向こう側があった

面白い番組でした
私なりにまとめてみたら、結構大変でした
歴史話ができる友達がいなくなったので、忘れてはいけないと書きました