2017年7月3日(月) 晴れ30℃超え 

東京最終日 あまり時間もないので、娘とブランチした近くを回ります。

京急雑色駅スタート(東京大田区)

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雑色・・ぞうしきと読みます
ちゃんといわれがあるのです
「雑色」は鎌倉時代、宮中の役目をしていたかつての地名による。
明治末期に六郷村(現在の仲六郷)に編入されたため、この地名は駅名に残るのみ

10分ほど歩いて、六郷神社に着きました
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六郷神社は、六郷一円の総鎮守として伝えられる創建は古く、平安時代後期とされる。

祭神は八幡大神誉田別尊)。八幡宮であるが、現在では八幡三神のうち神功皇后比売大神の二柱は祀られておらず、誉田別尊のみを祭神とする。
社伝によると天喜5年(1057年)、源頼義源(八幡太郎)義家父子が、この地の大杉の梢高くに源氏の白旗をかかげて軍勢をつのり、石清水八幡宮に武運長久を祈願したところ軍の士気が大いに高まり、 前九年の役で勝利したため、凱旋後に石清水八幡宮の分霊を勧請し八幡宮を創建したとされる。江戸時代には「六郷八幡宮」と称していた。文治5年(1189年)、源頼朝もまた、源義経および奥州藤原氏の征討(奥州合戦)に際し祖先の吉例にならって白旗を立て、戦での勝利を祈願した。建久2年(1191年)に梶原景時に命じて社殿を造営。 現在、社宝となっている雌獅子頭(めじしがしら)と境内に残る浄水石はこのときに頼朝が奉献したもの、また神門前の太鼓橋は景時が寄進したものといわれている。

天正19年(1591年)、徳川家康は、神領として十八石を寄進する朱印状を発給した。

慶長5年(1600年)、家康は神社近傍を流れる六郷川に架橋(六郷大橋)を命じ、その竣工を祈って願文を奉り、またこの神社の神輿によって渡初式を行ったと伝えられている。このように徳川家との縁が深いため、神紋として八幡宮の巴紋三つ葉葵紋を用いている。

時期については定かではないが、六郷神社では元来、他の八幡社と同様に八幡三神(誉田別尊、神功皇后、比売大神)を祀っていた。 しかし、あるときの曳船祭で、一座の神輿が東京湾の対岸である上総国に流されてしまい、もう一座の神輿はたいへんな荒神で、しばしば祟りを受けたので土中に埋めてしまったと江戸時代の書に書かれている(享保4年(1719年)造営の本殿は三神を祀る建築様式になっていることから、上記の故事が起きたのはそれ以後ではないかとされている)。
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源頼朝寄進と言われる浄水石
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独特のユーモラスな姿の狛犬は、その造形の豊かな芸術性とともに、区内でいちばん古いとして、大田区の文化財に指定されている
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社殿 
昭和62年(1987年)の鎮座九百三十年を期に建て替えられたが、享保4年(1719年)の造営の本殿は改修された。

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千木外削ぎ 鰹木7本
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ここでも茅の輪くぐりが行われたようですが、もうしまわれたのかな?

なるほど、神紋として八幡宮の巴紋と徳川家の三つ葉葵紋、どちらも見える

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こちらが、神門、切妻造り、左右に透塀を連ねて玉垣をめぐらしている
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神門の前にあるのが梶原景時寄進と伝えられている石造りの太鼓橋、神橋
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これかな、白旗の杉、樹齢1000年といわれ御神木として崇められていたが、大正11年に惜しくも枯れ、現在は根株のみ残る
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古そうな額も
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近くの六郷川にかかっていた六郷橋の親柱、家康が架けて以降、何度も流され、これは明治の物
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では、すぐ近くにあるという六郷川に

元々六郷は東海道が多摩川を横切る要地で、慶長5年(1600年)に徳川家康六郷大橋を架けさせた。慶長18年(1613年)、寛永20年(1643年)、寛文2年(1662年)、天和元年(1681年)、貞享元年(1684年)に架け直され、貞享元年のものが江戸時代最後の橋になった。1688年(貞享5年)の洪水以後、橋は再建されず、かわりに六郷の渡しが設けられた。
六郷の渡し跡があるかな。

多摩川にやってきました

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渡しの跡を探していると、こんな神社発見!
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「止め天神」
江戸時代、八代将軍吉宗の乗馬が暴走した時、落馬を止めた神社として有名になった。北野天神社が正式であるが通称を「止め神社」と言う。災いを止める祈りをするため多くの参拝を集めたという。おそらく、当時は現在の数倍の規模があったのではないかと思われる。祭礼の時には六郷橋より提灯が列なっていた。

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鶴亀の石、左は「亀は万年」、右は「鶴は千年」である。もとは力自慢の持ち上げる「力石」
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すぐ近くにありました
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近くの公園に鉄橋になった六郷橋のアーチ部分が記念として残されている 1925年(大正14年)のものらしい
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そして、現在の橋
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川崎に入ります 県境だったのか
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川崎側にもいろいろ碑が
明治元年(1868)の明治天皇の渡御の際には23隻による舟橋が架けられ たという
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東海道ですか
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本陣は主に大名、公家、旗本などが宿泊する施設で、門構え、玄関付、延231坪の堂々たる建物でした。本陣家の主人である田中休愚は、本陣、名主、問屋の三役を兼務し、六郷の渡船権を譲り受けて、宿場の財政を立て直しました。そして「民間省要」を著し、二ヶ領用水や酒匂川の治水に活躍し、幕府の勘定支配格(大名並み)に登用されました。
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川崎市のマンホール
中央にある市の花「ツツジ」を、市章と七個の市の木「ツバキ」が囲んでいる。ツバキの数は、七つの区を表している
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川崎の駅から帰ります。
暑い一日で疲れました

そして、夜に飛行機で大阪に戻ります
楽しい東京一週間でした